箱入り熟女

フリーライター松本史の日常とか箱入り熟女(三毛猫・18歳)に関する雑記帳。

世にも奇妙な森口くん物語

私が出会った妖精の話をする。

 

妖精の名前は森口くん。下の名前は知らない。出会ったのは私が20代前半の頃で、会社の先輩が皆、森口“くん”と言ってたので、私もそれに習ったが、たぶん森口くんは私より年上なんじゃないかと思う。

 

私はその当時、熊本の地方出版社に勤めていた。森口くんは、うちの会社にたまにやってくる小太りでメガネをかけた、おそらく発達障がいのある男性。突然ふらっと現れては、うちで発行している雑誌に関する感想や要望なんかをひたすらマシンガントークしていく。その大半は支離滅裂な話で、何を言いたいのか、何を要求しているのかよくわからない。ただ、とにかく記憶力が良く、うちで発行している雑誌の「◯号の◯ページに載っていた」とか、「◯◯◯◯と書いてあった」とか、そういうことはドンピシャで覚えている。作っている本人たちすら覚えていないようなことも覚えていて、さながらうちの雑誌の人間データベースのようだった。

 

森口くんが来たときは、H先輩が呼ばれる。H先輩は、いつも冷静で淡々としていながら、たまに発する鋭いツッコミに定評がある人だったが、森口くんに対しても冷静に淡々と対応しながら、たまに鋭いツッコミをして、私たちギャラリーを楽しませてくれた。発達障がいがある人を目の前にして、どう対応していいのか戸惑う人も多いと思う。私もその一人だ。だけどH先輩は、森口くんに対して構えず、フラットな位置から話をしながら、話が長くなってくると「業務に差し障りがあるから帰って」と言える人だった。まあ、そう言ってもなかなか帰ってはくれないのだが。

 

森口くんはうちの会社で人気者だった。森口くんにH先輩が対応していると、そこにだんだん人が集まってくる。編集部スタッフが、森口くんの支離滅裂な質問を一生懸命解読して答えようとしていたり、最新号の感想を聞こうとして意味不明な回答をもらったりしているシーンがよく見られた。あと森口くんは「ステッカーをください」とよく言うのだが、そのステッカーが何を意味しているのかわからないままに、皆で持っていたシールだったり付箋だったりメモ帳だったりをあげたりしていた。

 

実は森口くんはうちの会社にだけ来ていたわけではなく、熊本の他の出版社やテレビ局など、あらゆるメディアを訪問していたようだ。私がその事実を知ったのは、地元新聞社の出版部門に勤めていた友人と飲んでいたときだった。何かの流れで森口くんの話をしたら、友人が「それはもしかして、この前、うちに来た人と同じ人物じゃないか?」と言い始めたのだ。特徴を聞くと、森口くんに間違いない。森口くんは「新幹線の本を作りなさい」と話しに行ったようだ。ちょうど、新八代〜鹿児島間の新幹線が開通する時期だったので、提案内容として的が外れているわけではないと思うが、友人曰く「なかなか帰ってくれずに、対応した人が難儀していた」そうだ。

 

友人に「うちの会社では森口くんは人気者だ」という話をした。例えば、うちの会社が移転したとき、皆で「森口くんが新しいオフィスにやってこれるかどうか?」と心配していたエピソードを話すと、友人は感心したようにこう言った。

「おまえの会社、あったかいな」

ちなみに、確か移転して1年弱ぐらいで、森口くんは新しいオフィスにやってきた。いつもと変わらずマシンガントークをする森口くんを囲みながら、皆で「良かった、森口くんが来た。もう大丈夫だ」と喜んでいた。

 

ただ、うちの会社はあったかかったが、私はあったかくなかった。森口くんが来ると、少なからず業務に支障が出る。校了前のクソ忙しいときに、横で騒がれるのは本当に鬱陶しかった。だから、森口くんが来ても、私はその輪には加わらなかったし、「早く帰ってくれないかな」とばかり考えていた。

 

 

29歳になる年に、編集長として子育て情報誌を創刊することになった。子育ての経験なんてなかったが、 自ら望んで創刊編集長の座についたし、やる気は十分だった。それなりに仕事ができるという自負心もあったので、絶対売れる雑誌を作ってやる!と鼻息荒くイキっていた。

 

しかし、創刊まであと1か月、という時期に、その子育て情報誌の編集スタッフは、私と後輩Aのふたりだけだった。いや、もともとは4人いたのだ。私とAと、入社したばかりの新卒社員ふたりの計4人。その新卒社員が2か月ぐらいでふたり揃って辞めてしまったのだ。うちの会社はブラック企業だったし、なんならその当時の私もブラック上司だったし、創刊間近の雑誌編集部の仕事ももちろん超絶ブラックなものだった。今、振り返れば新卒社員が辞めちゃったのは仕方なかったなと思うし、私自身がそれを招いたところも大きいのではないかと反省している。

 

ただ、その当時は反省すらする暇がなかった。当時務めていた会社では、編集も広告営業も書店営業も全て、編集スタッフが担当していた。つまり、企画を立て、取材し、撮影も執筆もやるし、ラフもひく。広告営業もするし、取れた広告も自分で作る。そして書店営業も自分たちでやっていた。多分、多くの地方誌は今もこのスタイルでやっているのではないかと思うのだが、とにかく仕事量が半端じゃない。新卒社員が辞めたのと同時に中途入社を募集したが、そんなにすぐに来れる人は見つからない。

 

あと創刊まで1か月しかないのに仕事は山積みで、やってもやってもさらにその上に積み上がっていく。ふたりしかいないので、私がやっていなくて、Aがやっていなければ、その仕事は誰もやっていない。当たり前だ。朝から晩まで取材や営業で外を駆けずり回り、会社に20時ぐらいに帰って来てAと打ち合わせをし、それから原稿を書いたり、営業ツールを作成して、深夜に疲れ切って会社を出る日々が続いた。広告営業に行った先で、調子はいいけどケチな代表取締役から「いやー、俺なんて代表戸締り役だからさー。決裁権ないのよ〜」と広告を断られた日は、深夜に会社の戸締りをしながら「私こそ、代表戸締り役だ!!!!」と変な怒りを覚えたりもした

 

とにかく追い詰められていた。そんなときに、森口くんがやって来たのだ。

 

その日は珍しく夕方に会社に戻ってこれた。書かねばならぬ原稿を今晩、一気に片付けようと思っていた私は、もちろん森口くんを囲む輪には加わらず、自分の机で原稿を書いていた。だけど、呼び出されたのだ「森口くんが呼んでいる」と。

 

不審に思いながらAと一緒に行ってみると、森口くんは私とAにこう語りかけた。

「子育て情報誌ができますね。いい本です。日本の少子高齢化に貢献する本です。いい本です」

森口くんが子育て情報誌と連発するのを聞いて、皆が私とAを呼びにきてくれたのだ。ちょうどその頃、地元テレビ局でCMをうったり、自社媒体に新雑誌の広告を入れたりしていた。森口くんが何を見てくれたのかはわからないが、子育て情報誌を創刊するという我が社にエールを送りにきてくれたようだった。

 

なんだかよくわからないままに、Aとふたりで「ありがとうございます。がんばります」と繰り返していた。「いい本です。少子高齢化に貢献します」を繰り返しながら、森口くんはだんだん興奮していった。そして私も「いい本です」と繰り返されるうちに、だんだんうれしくなっていった。それが伝わったのかわからないが、森口くんは突然、モーニング娘。の『LOVEマシーン』を歌い出した。

 

いや、もうワケがわからない。ただ、ワケはわからないけど、なんだかとってもうれしくて、 すごく愉快な気分だった。うちの社員の輪の中で、森口くんは楽しそうに『LOVEマシーン』を歌って踊っていた。そして私たちも飛び跳ねながらWow Wow 、Yeah Yeah と叫んでいた。

 

「ニッポンの未来は」

Wow Wow  Wow  Wow

「世界がうらやむ」

Yeah Yeah Yeah Yeah

「恋をしようじゃないか」

Wow Wow  Wow  Wow

「Dance! Dancin' all of the night」

 

最後に興奮し過ぎた森口くんは、豪快なターンをして机にぶつかり、遠くまでメガネを飛ばしながら大きな音を立てて転んだ。皆であわてて駆け寄り、森口くんに怪我がないかを確認し、メガネを渡した。メガネをかけながら森口くんはこういった。

「ステッカーをください」

ステッカーぽいものは何もなかったので、私はありったけの付箋を、そしてAは机の引き出しにためていたたくさんのシールを持ってきて渡した。付箋とシールを手に入れた森口くんは、「いい本です。少子高齢化に貢献します」と再度、繰り返しながら帰っていった。

 

それから創刊まで、Aと私の合言葉は「森口くんが待っててくれる」だった。そして、子育て情報誌はちゃんと創刊した。創刊まで大変だったし、創刊してからはもっと大変だった。あまりにつらくて、深夜の会社で、なぜか立ったままカップラーメンを食べながら号泣した日もあった。今、考えれば笑えるが、いや、ほんといろいろつらかった。でも、同時に多くのことを学んだ時期でもあった。

 

 

創刊したあと、なかなか森口くんに会えなかった。うちの会社にはたまに来ていたようだが、ちょうど私が外出していたりとタイミングが合わなかった。会社にやって来た森口くんが子育て情報誌について言及したという話は聞かなかった。読んでくれたのかもしれないし、読んではもらえなかったのかもしれない。家族のおでかけやらファッションやらが中心で、少子高齢化に貢献しているとは言えない雑誌だったし。

 

ある日、小さな書店の前を通りがかり、次のアポまで時間があるので書店営業をしようと車を止めて入店した。家族経営の小さな店で、初めて入った書店だった。中年女性がレジにいたので、作っていた雑誌の最新号を見せながら「こんにちは、◯◯◯◯という熊本の出版社の松本と申します。うちでこの子育て情報誌を作ってるんですけど……」みたいな話を始めたときに、ふと私の視界の端に見覚えのあるシルエットが映った。

 

森 口 く ん だ ! !

 

森口くんは、基本的にママチャリで移動しており、うちの会社に来るときもママチャリでやって来る。かつ、熊本県内各所でママチャリに乗った森口くんをうちの社員が目撃している。あるときは、昼の12時に熊本市内をママチャリで爆走している姿を、14時に八代市内のコンビニにママチャリを止める姿を、そして15時に玉名市内でママチャリを押しながら歩いているところを目撃されている。もし、その目撃情報が全て本当ならば、12時に熊本市を出発し、2時間で約40キロ移動して八代市に、そしてその1時間後には約60キロ離れた玉名市にいることになる。いや、無理でしょ、そのママチャリ、エンジンでもついてんのかよ。だけど、みんな「自分が見た森口くんは絶対本物だ!」と譲らないのだ。だから、うちの社員が見た森口くんは、全て森口くんであることになっている。そこにどんな矛盾があろうとも。

 

まあ、それでいいのだ。うちの会社の社員にとって、森口くんは妖精なんだから。うちの雑誌を誰よりも熱心にチェックし、いいところをほめ、改善点を指摘し、そして最後に熱いエールを送ってくれるんだぜ。それが妖精以外の何者だと言うのだ。うちの社員が、同時多発的に森口くんを見かけたのは、それぞれがそのとき妖精が必要だったからじゃないかなと、私は思っている。

 

ただ、私が見た森口くんは、確かに森口くんだった。すぐ横の書棚の前で、微動だにせず熱心に本を立ち読みしている。これは見間違いようがない。「長い時間立ち読みしてるのかな? 怒られたりしないかな? 近くに住んでるのかな? 常連客なのかな?」と森口くんのことが気になって、レジの女性との会話が上の空になってしまう。ダメダメ、ちゃんと書店営業しなきゃ、と思った瞬間、女性がこういった。

「ごめんね、うち、明日で閉店しちゃうのよ」

 

初めて入った書店。立ち読みしている森口くん。その書店は明日閉店する。

 

なんだろ、この感じ。うまく言えないが、世にも奇妙な物語の主人公になったような気分だ。やっぱり、森口くんは妖精なんだろうな。

 

そして、その日が私が森口くんに会った最後の日になった。

 

 

数年後、私は転職して東京に引っ越した。今も東京でフリーライターとして働いている。熊本で勤めていた会社はすでにつぶれてしまったし、当時一緒に働いていた先輩や後輩、同僚たちも、それぞれの場所でそれぞれの人生を歩んでいる。東京に来たあとに森口くんの話は誰からも聞いていない。

 

たまに森口くんを思い出す。特に『LOVEマシーン』を聴くと必ず思い出して、楽しくなってしまう。もうきっと一生、森口くんに私は会えない。でも、あれ?と思う日があるんだ。

 

だって、さっき靖国通りを爆走していったママチャリに、森口くんそっくりの人が乗っていたんだもの。いや、違うな。あれは確かに森口くんだった。

 

そう、さっき私が靖国通りで見た森口くんは、絶対、本物の森口くんなんです。