箱入り熟女

フリーライター松本史の日常とか箱入り熟女(三毛猫・18歳)に関する雑記帳。

人は人気者になる夢を見る。

その瞬間、爆発的に人気が出る芸能人がいる。

 

古い例だが、ジョージアのCMの飯島直子どアップの飯島直子からテレビ越しに「ジョージアでひと休み」とささやかれて、きゅんとしたのはリーマンだけではなかったはずだ。当時、女子大生だった私も、あの表情、あの声に癒され「飯島直子みたいになりたい」と憧れたものだ。ジョージア飯島直子をCMに起用していたのは、1994年から1999年で、最初は安田成美バージョンもあったそうだ。いや、それ全く覚えていない。もともと癒し系のイメージが強かった安田成美より、それまでイケイケ路線だった飯島直子がいわゆるギャップ萌えを起こし、大ヒットCMになったらしい(超ざっくり、ネット調べ)。何にせよ、あのときの飯島直子はすごかった。人の心を鷲掴みにする力があった。

 

もちろん、人によってここで挙げる芸能人は変わってくるだろう。私の周りだけでも、ポッキーのCMのガッキーを挙げる人もいれば、docomoのCMの広末涼子を挙げる人だっている。とにかく、それが誰であろうとも、その瞬間、大衆の心に鮮烈に刻み込まれる強い魅力を放つことがあるのだ。あとから「ギャップ萌えを起こし、云々」みたいな理屈をつけることはできるかもしれないが、その瞬間は、ただただその魅力に圧倒され、まるで覚醒剤を打たれたかのように熱狂する。

 

あれって、何だろう?と思う。それまで全く興味のなかった芸能人が、とびきりすてきに見えてくる。何というか、オーラってやつでも出ているのだろうか? どうしても、その人の放つ魅力に抗えなくなってしまうのだ。

 

だけど、これまた不思議なことに、ほんのちょっと時期が過ぎると、途端に興味が失せてしまう。あれだけすてきだと思った人に対して、全く何も感じなくなってしまうのだ。自分の移り気を実感すればするほど、人気商売って大変だなと思う。

 

 

芸能人ではなく、リアルな友人・知人にも人気者はたくさんいる。そして、人気者にもいろいろタイプがある。

 

以前、取材した、私立中高一貫校のM校長先生は、まさしく「The人気者」 な先生だった。生い立ちから今までを聞く取材だったのだが、小さな頃から体育が得意でいたずら好きなガキ大将。常に仲間の中心にいて、文化祭や体育祭では一番目立つ存在。優等生ではないけど教師からもおもしろいやつとして人気。話を聞けば聞くほど、破天荒でいてユーモアたっぷりのエピソードが出てくる。

 「M先生は、ジャイアンだったんですね(笑)」

取材のあまりの楽しさに、思わずそう相槌を打った私に、M先生はニヤリとしながらこう答えた。

「そうですよ。でも漫画の意地悪なジャイアンじゃないよ。映画の優しい方のジャイアン。そうやってちゃんと書いてくださいよ!」

M先生は、“学校が好きだったから、大人になっても学校に通えるように”教師になった。そして、学校生活の中でも、一番楽しかったのは高校時代だと語る。

「だからこそ本校の生徒に、キラキラした宝物のような中高時代を過ごしてほしいんです。そのためにやれることは何だってやります」

こんなこと言われたら、子どももそのお母さんもノックダウンされるだろう。案の定、今、その学校は説明会でのM先生の話に惹かれて、入学志願者が増えているそうだ。

 

高校の同級生・Nちゃんもまた人気者の一人だった。Nちゃんは決して、口数の多い女の子ではなかったし、目立つタイプでもなかった。ただ、いつだってニコニコしながら、みんなの話をよく聞いてくれる。そして喜怒哀楽、全ての感情に共感してくれるのだ。そういうと主張のない人のように思えるかもしれないが、そうではない。Nちゃんは時に気の利いたツッコミを投げ込んできて、その話の本質を突いてくれる賢い人でもあった。とにかくNちゃんと話していると心地良いのだ。どんなに中身のない話でもニコニコして聞いてくれて、話している人間の感情を肯定し、そしてクスッと笑えるツッコミをくれる。だから休み時間になると、Nちゃんの周りは人がわらわら寄ってくる。ただ、もしかして周囲の人間に、Nちゃんが人気者、という意識はなかったかもしれない。正直に言えば、私もNちゃんを人気者と認識したのは、卒業して随分経ってからだ。若い頃は人気者というのはM先生のような目立つ人をさすと思っていたので、Nちゃんのような目立たない人気者がいるとは定義できなかったのだ。

 

目立つ・目立たないの違いはあれど、M先生もNちゃんも、多くの人に愛され、求められる人気者であることは間違いないと思う。多くの人に愛され、求められるという人気者の図式は、芸能人も変わらない。ただ、芸能人の場合は一方的にその魅力を受け取るだけで、こちらのことを認識してもらえない。その分、気持ちが冷めてしまうのも早い。リアルな友人・知人の場合は、一方的ではない相互関係があるので、人気者は(よほどの人格変化がない限り)ずっと人気者なのだろう。

 

 

もし、人気者になる方法が科学的に解明され、それを本にまとめられたら、絶対大ベストセラーだ。全世界が市場になるので、100万部どころか、1億部も夢じゃないだろう。 私も買う。だって、なってみたいもの、一生に一度ぐらいは人気者に。

 

でも、人気者になると、面倒くさいこともあるだろう。高校時代、休み時間のNちゃんが一人でいることはめったになかった。時にNちゃんも窮屈な気分になったことだってあるんじゃないだろうか? M先生だって、人気者じゃなければ、校長にならずにすんで、ずっと生徒とバカやってる教師としていられたのかもしれない。(※多くの校長先生が、校長をやるより普通の教師の方が楽しいと話す。校長になると生徒との接点が減って寂しいという声が多いのだ。)

 

芸能人とかもっと大変だろう。街を歩けば、たいていの人間が自分のことを知っていて騒がれる。それだけならまだしも、生きているだけで、きれいだのブスだの、バカだの賢いだの、全く知らない人間からジャッジされるのだ。考えただけでゾッとする。SNS時代が生んだ、インスタグラマーやアルファツイッタラーなど、新しいタイプの人気者も同じだ。変なフォロワーに粘着されるとか、クソリプを飛ばされるとか、みんないろんな弊害をよく嘆いているじゃないか。

 

いや、やっぱり人気者になるって大変だ。そんなに迂闊に人気者になっちゃダメだ。もし人気者になる方法が解明されても、そんな本買っちゃダメだな。でもなあ、人気者になったら楽しいことだってたくさんあるんじゃないかな。あっ、そうだ! 一回だけ人気者になってみて、嫌だったら人気を落とせばいいじゃないか! でも、人気を落とすってどうすればいいんだろう? それもまた人気者になる方法と共に、本にまとめておいて欲しいよな……。

 

なんかもう、終わりがないのでこの辺で。ただ、やっぱ「人生の中で一度は人気者になってみたい」と思うのだ。だって、それって人の性だよね? 人気者になったら、私は何を思うのか。その楽しさとつらさの配分はいかほどか。

 

人は人気者になる夢を見る。夢を見ているときが、多分一番幸せなのかもしれない。