箱入り熟女

フリーライター松本史の日常とか箱入り熟女(三毛猫・18歳)に関する雑記帳。

「旅する日本語」に応募 その2

昨日のブログで紹介した「旅する日本語」の残り5つの応募作品です。

 

再度、説明すると、「旅する日本語」とは、羽田空港などが主催しているコンテストで、11個のお題になる言葉があり、その言葉を連想させるようなエッセイ、ショートストーリー、写真を募集しています。賞をとると、羽田空港に張り出され、旅行券がもらえます。

event.tokyo-airport-bldg.co.jp

 

それではここから、応募作品です。1つ400文字程度なので、1分もあれば読めまーす!

 

お題7 寸景(すんけい) 日常生活に見える風景、人物の姿態などを撮った写真

note.mu

 

お題8 奇偉(きい) 比類なく立派である・こと(さま)

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お題9 差添い(さしぞい) 人を助け守るために付き添うこと

note.mu

 

お題10 幸先(さいさき) 何か事を始める最初に、その事がうまく行きそうな感じを与える出来事

note.mu

 

お題11   涼飇(りょうひょう) 涼しい風

note.mu

 

ほかの6つのお題に関しては、こちらの記事をどうぞ!

 

hakoiri-j.hatenablog.com

 

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どうぞ、よろしくお願いいたします!

 

「旅する日本語」に応募 その1

ずっと、はてなの方を放置してますが、旅する日本語というコンテストにnoteで応募してます。

 

event.tokyo-airport-bldg.co.jp

 

羽田空港などが主催するコンテストで、お題となる言葉が11個あり、その言葉を連想させる400字以内のエッセイやストーリー、写真を募集してます。賞を取れると羽田空港に張り出され、旅行券がもらえるそうです。

 

 

それぞれ1分もあれば読める長さなので、よろしければ読んでください! で、noteはアカウントのない方でも「スキ」ボタンが押せるので、読んでおもしろければ「スキ」をいただけると私がとっても喜びます。ツイッターフェイスブックでシェアしていただければ、もっともっと喜びます。

 

お題1 昧爽(まいそう) 夜明け方、あかつき

note.mu

 

お題2 礼遇(れいぐう) 礼を尽くし、丁寧にもてなすこと

note.mu

 

お題3   恋草(こいぐさ) 恋の思いが激しく燃え上がる様子を、草の生い茂るのに例えていう

note.mu

 

お題4   碧空(へきくう) 青空、晴れ上がった美しい空

note.mu

 

お題5   生い優る(おいまさる) 成長するに連れて素晴らしくなる、美しく成長する 

note.mu

 

お題6  炎節(えんせつ) 暑い季節の意、夏、盛夏

note.mu

 

あと残り5つも投稿したら、ご紹介します!よろしくお願いいたします!

6分の1で表すんじゃねえ

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“ピンポーン”

「来た!!!!」

昨日の夜、アマゾンで2018年4月号の『Casa BRUTUS』をポチった。特集は「CAFE&ROASTER カフェとロースター」。最新号ではない。すでにもう7月号まで発行しているようだ。今日一日、『Casa BRUTUS』が届くのを心待ちにしていた。

 

届いてすぐにページを開いてみた。

「どこだ? どこに載ってるんだ?」

ページをめくっていくと、程なくして1ページに6軒ずつ、1枚の写真と120文字程度の文章でカフェを紹介している「ぼくのカフェ案内。」という特集にぶつかる。インスタに全国津々浦々のカフェを投稿している、岡本仁さんという編集者が選んだ私的カフェ案内だそうだ。嫌な予感がした。結構、ページ数も多い特集だ。

「そうか、まあ、そりゃそうだな」

そんな風にあきらめの境地に達したころ、お目当ての記事を見つけた。嫌な予感は見事的中し、「ぼくのカフェ案内。」の中の1軒として、6分の1ページで紹介されていた。

 

「啄木鳥」という喫茶店だ。“カフェ”じゃない、喫茶店熊本市水道町、古いマンションの1階にある喫茶店で、鶏ガラみたいに痩せたマスターが一人でやっている。昨日の夜、偶然「『Casa BRUTUS』のカフェ特集で、熊本で唯一掲載された喫茶店として啄木鳥を紹介しているブログを見て、興奮して『Casa BRUTUS』をポチったのだ。なんだ、6分の1かよ。まあ、仕方ない。正直、熊本でも有名な店ってわけではないし。ただ、なんというか写真も文章も、私の知ってる啄木鳥ではない。そこがどうにも歯がゆい。

 

私が初めて啄木鳥を訪れたのは大学4年生のころ。当時、喫茶店めぐりにはまっていた私は、新しい喫茶店を見つけてはコーヒーを飲みに行っていた。そして、その喫茶店めぐりは啄木鳥の発見で終結する。それから32歳で上京するまでの約10年間、私は啄木鳥の常連客だった。程なくして同僚のミカチンも啄木鳥に通うようになった。当時のクライアントのTさんにも紹介し、そのうち、私、ミカチン、Tさん、マスターの4人でたまに飲みに行くようにもなった。

 

啄木鳥は常連が多いお店だった。ひとりで来る人はひとりで、グループの人はいつも同じグループでやって来て、毎回、同じものを頼んでいる。毎日通って来ている人も多かったと思う。だけど、常連同士がそこで出会って仲良くなって……、みたいな雰囲気はあまりない(もしかしてあったのかもしれないけど、少なくとも私は他の常連さんと仲良くなったことはない)。皆、静かで、大声で話している人はいない。以前、マスターに聞いた話だが、長く通って来ていた男性のお客さんで声が大きい人がいたらしく。何度か、声のトーンを落とすように男性に伝えたそうだが、どうしても直らなかったため、マスターは彼を出禁にしたらしい。

私「えっ? なんか別に悪いことしたわけじゃないんですよね?」

マスター「そうだけど、でもうるさかったの」

 

マスターは、揺るぎない自分の哲学がある、ちょっぴり偏屈で、まあまあ毒舌な人だった。マスターが大学生のころの話だが、友人と“昼の12時に歩道橋の上”で待ち合わせをした。ただ、12時にマスターが歩道橋の上を通りがかったときに、友人はまだ来ておらず。

マスター「だから、そのまま帰ったの」

私「えー、少しも待たなかったんですか?」

マスター「まあ、こういうのって縁だから」

いやいや、それは縁ではなく約束だ。まあ、マスターはそんな人だ(どんな人だ!!)。

 

 啄木鳥では、マスター手作りのスイーツメニューが楽しめる。それが、どれも最高に美味い。また、マスターがOKしてくれたときだけだが、特別にホールケーキを予約注文することもできる。私もクリスマスパーティをするのに1度だけ焼いてもらったことがある。マスターの気が乗らなかったら断られるので(それまでに2度断られていた)、OKをもらったときは、本当にうれしかったし、実際、そのケーキは瞬時で無くなってしまったぐらい美味かった。きっと、啄木鳥にホールケーキを頼んだ人は、みんな私と同じようにマスターのケーキをすごく楽しみにしているはずだ。なのに、なのに、だ。マスターは一度、お客さんから頼まれたホールケーキの注文をすっかり忘れてしまったことがあるらしい。夕方、お客さんがケーキを引き取りに来て、「あら、ごめん、忘れてた」みたいな話になり。そりゃ、もちろんお客さんは文句を言う。でも、マスターはこう言ったのだ。

「ウチ出てすぐのとこに、ケーキ屋さんあるでしょ」

まあ、確かに啄木鳥のそばにケーキ屋はあるんだが……。

 

私は昔、冷たい飲み物が苦手だった。なので、夏でも啄木鳥で飲むのはホットコーヒー。ただ、なんか違うものを飲みたいときってある。ある夏の日のことだ。

私「今日はアイスコーヒー飲もうかな」

マスター「冷たいの苦手なんでしょ。やめときなさいよ」

私「うーん、じゃあ紅茶にしようかな」

マスター「紅茶、あんまり好きじゃないって言ってたじゃない」

私「えー、じゃあハーブティ」

マスター「紅茶嫌いならハーブティもダメよ」

私「……。じゃあ、じゃあ、ホットミルク」

マスター「ホットミルクなんて60代になってから飲むものよ」

結局、その日も私はホットコーヒーを飲んだ。というか、啄木鳥で私はホットコーヒー以外、飲んだことはない。

 

一番、最後に啄木鳥に行ったのは5年前。ミカチンの結婚式の前日。式は福岡だったのだが、その前日に熊本入りして啄木鳥に行った。ミカチンへのお祝いメッセージを書いてもらおうと思って。用意していったメッセージカードを渡すと、「えー、何書こう? ほら、僕、あんまり結婚にいいイメージないから、結婚のお祝いとか何書けばいいのかわからないのよね」と、相変わらずマスターらしいことを言っていて、すごく愉快な気分になった。そして次の日、ミカチンにそのメッセージカードを渡したら、「マスターから?」とびっくりして、なんとも表現しがたい幸せな顔をしていた。これまたとっても愉快な気分だった。

 

『Casa BRUTUS』の記事では、流れていた音楽がクラシックだったことに触れられていた。違う、音楽じゃない、啄木鳥は花だ。カウンターの向かって左側に大きな花瓶があったはずだ。あの花瓶の中には、針金ハンガーをぐしゃぐしゃに折り曲げたものが入っていて、それがいい引っかかりになって、自然な雰囲気で花を生けられるようになっているんだ。華やかな花より、地味な花をマスターは好んだ。枝ものを生けたときには、花が枯れ、葉っぱがカウンターに落ちても数日そのままだった。「枯れてる雰囲気も、またいいでしょ」って。記事で紹介されていたメニューは「カボチャプリン」だったけど、そんなの昔はなかった。普通のプリンはたまにあったけど。ただ、啄木鳥のスイーツで紹介すべきは、春はいちごタルト、秋はマロンパイ、なんだ。ああ、思い出すだけでたまらない……。いつも2個食べたいと思っていたけど、2個頼んでも売ってくれないから、1個を大事に大事に食べていた。スイーツ以外なら、サンドイッチだ。焼いたのと焼かないのの2種類あるが、断然焼いたのがオススメだ。サンドイッチを頼むと、マスターがスクランブルエッグを作り始める。バターの焼けるなんともいい匂いに包まれる時間は幸福以外何者でもない。それまで私はサンドイッチが好きではなく、生まれて初めて「美味い!」と思ったサンドイッチが啄木鳥のサンドイッチだった。きゅうりやハムなど、本当にベーシックな具材なんだけど、バランスがすばらしく、サンドイッチってごちそうなんだな、と思える。記事の写真も違う、違うんだ。あんなに暗い雰囲気の店じゃない。マンションの入り口は薄暗くて不安にさせるんだけど、お店に入った途端、木造りのあったかな雰囲気で、そのギャップにちょっと驚くはずだ。

 

そもそも、なぜ掲載OKしたんだろう? マスターは取材嫌いだ。通好みする店なので、たまに取材依頼を受けていたけど、たいていの場合はお断りだったはず。まあ多分、その岡本仁さん、もしくは掲載交渉した編集者が感じのいい方だったんだろう。マスターがその人のことを、いいなって思ったんだろうなって。そんな気がする。

 

10年間、週に3〜4回通っていた。ひとりでだったり、ミカチンとふたりでだったり。ときに待ち合わせてないのにミカチンと出くわすことも多かった。啄木鳥のカウンターに座って、ミカチンやマスターを相手に、たくさん話をした。仕事のことも、プライベートのことも、なんでも。そんなに波乱万丈な人生ではないけど、さすがに10年という月日の間にはいろんなことがあったから。Tさんも交えて4人で飲みに行ったときは、もっといろんなことを話した。マスターはシンデレラボーイなので、深夜0時には帰ってしまうのだけど。

 

マスターはしたり顔で人生のアドバイスをする、なんてタイプでは全くなかった。だけど、マスターの言葉は、いつも私の心に深く根を下ろした。私はあまり他人の言うことを聞く人間じゃない。だけど、なぜだかマスターの言葉は響くのだ。なかでも忘れられない言葉がある。

「僕は何かを決めるときに、それが自分に似合うかどうかで判断することにしている」

何かを決断すべきとき、いつもこの言葉が頭に浮かぶ。去年、会社を辞めてフリーになるかどうか考えたときも、真っ先にこの言葉が浮かんだ。私は似合うと思ったのだ、フリーという形が、自分に。まだ、本当に似合っているのかわからないけど、少なくとも似合うように生きようと決意している。

 

学生から大人になっていく過程の中で、私が抱えたさまざまなもの——憎んだり、愛したり、羨んだり、信じたり、騙したり——、そういうものと共に私は啄木鳥に通った。私にとって啄木鳥は、私の人生を形づくるたくさんのものと共に在る。だからやっぱり悪態をつきたくなるのだ。「6分の1で表すんじゃねえ」って。

 

でも、じゃあ1ページや2ページの記事だったらよかったのか? いや、それでも多分、文句は言っちゃう(笑)。そして私自身は、啄木鳥のことを6分の1ではもちろん、1ページでも2ページでも、いや1冊の本でだって絶対表せないのだ。

人は人気者になる夢を見る。

その瞬間、爆発的に人気が出る芸能人がいる。

 

古い例だが、ジョージアのCMの飯島直子どアップの飯島直子からテレビ越しに「ジョージアでひと休み」とささやかれて、きゅんとしたのはリーマンだけではなかったはずだ。当時、女子大生だった私も、あの表情、あの声に癒され「飯島直子みたいになりたい」と憧れたものだ。ジョージア飯島直子をCMに起用していたのは、1994年から1999年で、最初は安田成美バージョンもあったそうだ。いや、それ全く覚えていない。もともと癒し系のイメージが強かった安田成美より、それまでイケイケ路線だった飯島直子がいわゆるギャップ萌えを起こし、大ヒットCMになったらしい(超ざっくり、ネット調べ)。何にせよ、あのときの飯島直子はすごかった。人の心を鷲掴みにする力があった。

 

もちろん、人によってここで挙げる芸能人は変わってくるだろう。私の周りだけでも、ポッキーのCMのガッキーを挙げる人もいれば、docomoのCMの広末涼子を挙げる人だっている。とにかく、それが誰であろうとも、その瞬間、大衆の心に鮮烈に刻み込まれる強い魅力を放つことがあるのだ。あとから「ギャップ萌えを起こし、云々」みたいな理屈をつけることはできるかもしれないが、その瞬間は、ただただその魅力に圧倒され、まるで覚醒剤を打たれたかのように熱狂する。

 

あれって、何だろう?と思う。それまで全く興味のなかった芸能人が、とびきりすてきに見えてくる。何というか、オーラってやつでも出ているのだろうか? どうしても、その人の放つ魅力に抗えなくなってしまうのだ。

 

だけど、これまた不思議なことに、ほんのちょっと時期が過ぎると、途端に興味が失せてしまう。あれだけすてきだと思った人に対して、全く何も感じなくなってしまうのだ。自分の移り気を実感すればするほど、人気商売って大変だなと思う。

 

 

芸能人ではなく、リアルな友人・知人にも人気者はたくさんいる。そして、人気者にもいろいろタイプがある。

 

以前、取材した、私立中高一貫校のM校長先生は、まさしく「The人気者」 な先生だった。生い立ちから今までを聞く取材だったのだが、小さな頃から体育が得意でいたずら好きなガキ大将。常に仲間の中心にいて、文化祭や体育祭では一番目立つ存在。優等生ではないけど教師からもおもしろいやつとして人気。話を聞けば聞くほど、破天荒でいてユーモアたっぷりのエピソードが出てくる。

 「M先生は、ジャイアンだったんですね(笑)」

取材のあまりの楽しさに、思わずそう相槌を打った私に、M先生はニヤリとしながらこう答えた。

「そうですよ。でも漫画の意地悪なジャイアンじゃないよ。映画の優しい方のジャイアン。そうやってちゃんと書いてくださいよ!」

M先生は、“学校が好きだったから、大人になっても学校に通えるように”教師になった。そして、学校生活の中でも、一番楽しかったのは高校時代だと語る。

「だからこそ本校の生徒に、キラキラした宝物のような中高時代を過ごしてほしいんです。そのためにやれることは何だってやります」

こんなこと言われたら、子どももそのお母さんもノックダウンされるだろう。案の定、今、その学校は説明会でのM先生の話に惹かれて、入学志願者が増えているそうだ。

 

高校の同級生・Nちゃんもまた人気者の一人だった。Nちゃんは決して、口数の多い女の子ではなかったし、目立つタイプでもなかった。ただ、いつだってニコニコしながら、みんなの話をよく聞いてくれる。そして喜怒哀楽、全ての感情に共感してくれるのだ。そういうと主張のない人のように思えるかもしれないが、そうではない。Nちゃんは時に気の利いたツッコミを投げ込んできて、その話の本質を突いてくれる賢い人でもあった。とにかくNちゃんと話していると心地良いのだ。どんなに中身のない話でもニコニコして聞いてくれて、話している人間の感情を肯定し、そしてクスッと笑えるツッコミをくれる。だから休み時間になると、Nちゃんの周りは人がわらわら寄ってくる。ただ、もしかして周囲の人間に、Nちゃんが人気者、という意識はなかったかもしれない。正直に言えば、私もNちゃんを人気者と認識したのは、卒業して随分経ってからだ。若い頃は人気者というのはM先生のような目立つ人をさすと思っていたので、Nちゃんのような目立たない人気者がいるとは定義できなかったのだ。

 

目立つ・目立たないの違いはあれど、M先生もNちゃんも、多くの人に愛され、求められる人気者であることは間違いないと思う。多くの人に愛され、求められるという人気者の図式は、芸能人も変わらない。ただ、芸能人の場合は一方的にその魅力を受け取るだけで、こちらのことを認識してもらえない。その分、気持ちが冷めてしまうのも早い。リアルな友人・知人の場合は、一方的ではない相互関係があるので、人気者は(よほどの人格変化がない限り)ずっと人気者なのだろう。

 

 

もし、人気者になる方法が科学的に解明され、それを本にまとめられたら、絶対大ベストセラーだ。全世界が市場になるので、100万部どころか、1億部も夢じゃないだろう。 私も買う。だって、なってみたいもの、一生に一度ぐらいは人気者に。

 

でも、人気者になると、面倒くさいこともあるだろう。高校時代、休み時間のNちゃんが一人でいることはめったになかった。時にNちゃんも窮屈な気分になったことだってあるんじゃないだろうか? M先生だって、人気者じゃなければ、校長にならずにすんで、ずっと生徒とバカやってる教師としていられたのかもしれない。(※多くの校長先生が、校長をやるより普通の教師の方が楽しいと話す。校長になると生徒との接点が減って寂しいという声が多いのだ。)

 

芸能人とかもっと大変だろう。街を歩けば、たいていの人間が自分のことを知っていて騒がれる。それだけならまだしも、生きているだけで、きれいだのブスだの、バカだの賢いだの、全く知らない人間からジャッジされるのだ。考えただけでゾッとする。SNS時代が生んだ、インスタグラマーやアルファツイッタラーなど、新しいタイプの人気者も同じだ。変なフォロワーに粘着されるとか、クソリプを飛ばされるとか、みんないろんな弊害をよく嘆いているじゃないか。

 

いや、やっぱり人気者になるって大変だ。そんなに迂闊に人気者になっちゃダメだ。もし人気者になる方法が解明されても、そんな本買っちゃダメだな。でもなあ、人気者になったら楽しいことだってたくさんあるんじゃないかな。あっ、そうだ! 一回だけ人気者になってみて、嫌だったら人気を落とせばいいじゃないか! でも、人気を落とすってどうすればいいんだろう? それもまた人気者になる方法と共に、本にまとめておいて欲しいよな……。

 

なんかもう、終わりがないのでこの辺で。ただ、やっぱ「人生の中で一度は人気者になってみたい」と思うのだ。だって、それって人の性だよね? 人気者になったら、私は何を思うのか。その楽しさとつらさの配分はいかほどか。

 

人は人気者になる夢を見る。夢を見ているときが、多分一番幸せなのかもしれない。