箱入り熟女

フリーライター松本史の日常とか箱入り熟女(三毛猫・18歳)に関する雑記帳。

6分の1で表すんじゃねえ

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“ピンポーン”

「来た!!!!」

昨日の夜、アマゾンで2018年4月号の『Casa BRUTUS』をポチった。特集は「CAFE&ROASTER カフェとロースター」。最新号ではない。すでにもう7月号まで発行しているようだ。今日一日、『Casa BRUTUS』が届くのを心待ちにしていた。

 

届いてすぐにページを開いてみた。

「どこだ? どこに載ってるんだ?」

ページをめくっていくと、程なくして1ページに6軒ずつ、1枚の写真と120文字程度の文章でカフェを紹介している「ぼくのカフェ案内。」という特集にぶつかる。インスタに全国津々浦々のカフェを投稿している、岡本仁さんという編集者が選んだ私的カフェ案内だそうだ。嫌な予感がした。結構、ページ数も多い特集だ。

「そうか、まあ、そりゃそうだな」

そんな風にあきらめの境地に達したころ、お目当ての記事を見つけた。嫌な予感は見事的中し、「ぼくのカフェ案内。」の中の1軒として、6分の1ページで紹介されていた。

 

「啄木鳥」という喫茶店だ。“カフェ”じゃない、喫茶店熊本市水道町、古いマンションの1階にある喫茶店で、鶏ガラみたいに痩せたマスターが一人でやっている。昨日の夜、偶然「『Casa BRUTUS』のカフェ特集で、熊本で唯一掲載された喫茶店として啄木鳥を紹介しているブログを見て、興奮して『Casa BRUTUS』をポチったのだ。なんだ、6分の1かよ。まあ、仕方ない。正直、熊本でも有名な店ってわけではないし。ただ、なんというか写真も文章も、私の知ってる啄木鳥ではない。そこがどうにも歯がゆい。

 

私が初めて啄木鳥を訪れたのは大学4年生のころ。当時、喫茶店めぐりにはまっていた私は、新しい喫茶店を見つけてはコーヒーを飲みに行っていた。そして、その喫茶店めぐりは啄木鳥の発見で終結する。それから32歳で上京するまでの約10年間、私は啄木鳥の常連客だった。程なくして同僚のミカチンも啄木鳥に通うようになった。当時のクライアントのTさんにも紹介し、そのうち、私、ミカチン、Tさん、マスターの4人でたまに飲みに行くようにもなった。

 

啄木鳥は常連が多いお店だった。ひとりで来る人はひとりで、グループの人はいつも同じグループでやって来て、毎回、同じものを頼んでいる。毎日通って来ている人も多かったと思う。だけど、常連同士がそこで出会って仲良くなって……、みたいな雰囲気はあまりない(もしかしてあったのかもしれないけど、少なくとも私は他の常連さんと仲良くなったことはない)。皆、静かで、大声で話している人はいない。以前、マスターに聞いた話だが、長く通って来ていた男性のお客さんで声が大きい人がいたらしく。何度か、声のトーンを落とすように男性に伝えたそうだが、どうしても直らなかったため、マスターは彼を出禁にしたらしい。

私「えっ? なんか別に悪いことしたわけじゃないんですよね?」

マスター「そうだけど、でもうるさかったの」

 

マスターは、揺るぎない自分の哲学がある、ちょっぴり偏屈で、まあまあ毒舌な人だった。マスターが大学生のころの話だが、友人と“昼の12時に歩道橋の上”で待ち合わせをした。ただ、12時にマスターが歩道橋の上を通りがかったときに、友人はまだ来ておらず。

マスター「だから、そのまま帰ったの」

私「えー、少しも待たなかったんですか?」

マスター「まあ、こういうのって縁だから」

いやいや、それは縁ではなく約束だ。まあ、マスターはそんな人だ(どんな人だ!!)。

 

 啄木鳥では、マスター手作りのスイーツメニューが楽しめる。それが、どれも最高に美味い。また、マスターがOKしてくれたときだけだが、特別にホールケーキを予約注文することもできる。私もクリスマスパーティをするのに1度だけ焼いてもらったことがある。マスターの気が乗らなかったら断られるので(それまでに2度断られていた)、OKをもらったときは、本当にうれしかったし、実際、そのケーキは瞬時で無くなってしまったぐらい美味かった。きっと、啄木鳥にホールケーキを頼んだ人は、みんな私と同じようにマスターのケーキをすごく楽しみにしているはずだ。なのに、なのに、だ。マスターは一度、お客さんから頼まれたホールケーキの注文をすっかり忘れてしまったことがあるらしい。夕方、お客さんがケーキを引き取りに来て、「あら、ごめん、忘れてた」みたいな話になり。そりゃ、もちろんお客さんは文句を言う。でも、マスターはこう言ったのだ。

「ウチ出てすぐのとこに、ケーキ屋さんあるでしょ」

まあ、確かに啄木鳥のそばにケーキ屋はあるんだが……。

 

私は昔、冷たい飲み物が苦手だった。なので、夏でも啄木鳥で飲むのはホットコーヒー。ただ、なんか違うものを飲みたいときってある。ある夏の日のことだ。

私「今日はアイスコーヒー飲もうかな」

マスター「冷たいの苦手なんでしょ。やめときなさいよ」

私「うーん、じゃあ紅茶にしようかな」

マスター「紅茶、あんまり好きじゃないって言ってたじゃない」

私「えー、じゃあハーブティ」

マスター「紅茶嫌いならハーブティもダメよ」

私「……。じゃあ、じゃあ、ホットミルク」

マスター「ホットミルクなんて60代になってから飲むものよ」

結局、その日も私はホットコーヒーを飲んだ。というか、啄木鳥で私はホットコーヒー以外、飲んだことはない。

 

一番、最後に啄木鳥に行ったのは5年前。ミカチンの結婚式の前日。式は福岡だったのだが、その前日に熊本入りして啄木鳥に行った。ミカチンへのお祝いメッセージを書いてもらおうと思って。用意していったメッセージカードを渡すと、「えー、何書こう? ほら、僕、あんまり結婚にいいイメージないから、結婚のお祝いとか何書けばいいのかわからないのよね」と、相変わらずマスターらしいことを言っていて、すごく愉快な気分になった。そして次の日、ミカチンにそのメッセージカードを渡したら、「マスターから?」とびっくりして、なんとも表現しがたい幸せな顔をしていた。これまたとっても愉快な気分だった。

 

『Casa BRUTUS』の記事では、流れていた音楽がクラシックだったことに触れられていた。違う、音楽じゃない、啄木鳥は花だ。カウンターの向かって左側に大きな花瓶があったはずだ。あの花瓶の中には、針金ハンガーをぐしゃぐしゃに折り曲げたものが入っていて、それがいい引っかかりになって、自然な雰囲気で花を生けられるようになっているんだ。華やかな花より、地味な花をマスターは好んだ。枝ものを生けたときには、花が枯れ、葉っぱがカウンターに落ちても数日そのままだった。「枯れてる雰囲気も、またいいでしょ」って。記事で紹介されていたメニューは「カボチャプリン」だったけど、そんなの昔はなかった。普通のプリンはたまにあったけど。ただ、啄木鳥のスイーツで紹介すべきは、春はいちごタルト、秋はマロンパイ、なんだ。ああ、思い出すだけでたまらない……。いつも2個食べたいと思っていたけど、2個頼んでも売ってくれないから、1個を大事に大事に食べていた。スイーツ以外なら、サンドイッチだ。焼いたのと焼かないのの2種類あるが、断然焼いたのがオススメだ。サンドイッチを頼むと、マスターがスクランブルエッグを作り始める。バターの焼けるなんともいい匂いに包まれる時間は幸福以外何者でもない。それまで私はサンドイッチが好きではなく、生まれて初めて「美味い!」と思ったサンドイッチが啄木鳥のサンドイッチだった。きゅうりやハムなど、本当にベーシックな具材なんだけど、バランスがすばらしく、サンドイッチってごちそうなんだな、と思える。記事の写真も違う、違うんだ。あんなに暗い雰囲気の店じゃない。マンションの入り口は薄暗くて不安にさせるんだけど、お店に入った途端、木造りのあったかな雰囲気で、そのギャップにちょっと驚くはずだ。

 

そもそも、なぜ掲載OKしたんだろう? マスターは取材嫌いだ。通好みする店なので、たまに取材依頼を受けていたけど、たいていの場合はお断りだったはず。まあ多分、その岡本仁さん、もしくは掲載交渉した編集者が感じのいい方だったんだろう。マスターがその人のことを、いいなって思ったんだろうなって。そんな気がする。

 

10年間、週に3〜4回通っていた。ひとりでだったり、ミカチンとふたりでだったり。ときに待ち合わせてないのにミカチンと出くわすことも多かった。啄木鳥のカウンターに座って、ミカチンやマスターを相手に、たくさん話をした。仕事のことも、プライベートのことも、なんでも。そんなに波乱万丈な人生ではないけど、さすがに10年という月日の間にはいろんなことがあったから。Tさんも交えて4人で飲みに行ったときは、もっといろんなことを話した。マスターはシンデレラボーイなので、深夜0時には帰ってしまうのだけど。

 

マスターはしたり顔で人生のアドバイスをする、なんてタイプでは全くなかった。だけど、マスターの言葉は、いつも私の心に深く根を下ろした。私はあまり他人の言うことを聞く人間じゃない。だけど、なぜだかマスターの言葉は響くのだ。なかでも忘れられない言葉がある。

「僕は何かを決めるときに、それが自分に似合うかどうかで判断することにしている」

何かを決断すべきとき、いつもこの言葉が頭に浮かぶ。去年、会社を辞めてフリーになるかどうか考えたときも、真っ先にこの言葉が浮かんだ。私は似合うと思ったのだ、フリーという形が、自分に。まだ、本当に似合っているのかわからないけど、少なくとも似合うように生きようと決意している。

 

学生から大人になっていく過程の中で、私が抱えたさまざまなもの——憎んだり、愛したり、羨んだり、信じたり、騙したり——、そういうものと共に私は啄木鳥に通った。私にとって啄木鳥は、私の人生を形づくるたくさんのものと共に在る。だからやっぱり悪態をつきたくなるのだ。「6分の1で表すんじゃねえ」って。

 

でも、じゃあ1ページや2ページの記事だったらよかったのか? いや、それでも多分、文句は言っちゃう(笑)。そして私自身は、啄木鳥のことを6分の1ではもちろん、1ページでも2ページでも、いや1冊の本でだって絶対表せないのだ。