箱入り熟女

フリーライター松本史の日常とか箱入り熟女(三毛猫・18歳)に関する雑記帳。

鯛は250円。

私の会社員人生は超絶ブラックな会社から始まった。入社して2年間は、一番経営が厳しかった時期で、給料遅配は当たり前だった。厚生年金さえかけてもらえず、自分で国民年金を払っていた。就業時間は確か9時〜18時だったと思うが、18時に帰れたことなんてないに等しいし、土日出勤、徹夜、家に数日帰れない、、、そんなの当たり前の環境だった。

 

そんな会社に二度と務めたくないし、全てのブラック会社は潰れてしまえ!と思う

(ちなみに、その会社は既に潰れている)。

 

でも、私にとって、そこでの会社員生活は楽しいものだった。ひどく仲の良い、ミカチンという同僚がいたのだ。当時は熊本でブライダル雑誌を作っていて、ブラック企業なもんだから人の入れ替わりも激しく、入社3年ぐらいでミカチンが編集長、私は副編集長を担っていた。私もミカチンも我が強い方だし、どこかで衝突しても良さそうなもんだったけど、全くそういう記憶がない。

 

とにかく忙しかった。まだ入社1年目で、初めての校了を終えた夜、ミカチンとふたりで飲みに行った。それが初めてふたりで飲んだ日。行ったのは、私が見つけたこざっぱりした小料理屋。乾杯して小粋な料理をつまんでいると、ミカチンは涙ぐみ始めた。

「仕事帰りに飲むなんか、嘘んごた。普通の会社員みたいたい」

そう言って、さめざめと泣いていた。

 

その数年後、編集部のほぼ全スタッフが徹夜で原稿を書いていたある日。あまりの辛さに私は「ああ、死にたか」と呟いた。

「死んだらもう原稿書かんでよか。死にたか、死にたかー」

そう叫ぶ私にミカチンは言い放った。

「死んでもよかけど、校了してから成仏して」

人は変わる。あの泣いていたミカチンはどこにもいなかった。変わったのがいいのか、悪いのかは置いておこう。

 

当時は広告営業もやっていて、とった広告は全て自分で制作するスタイルだった。私もミカチンも、どうしても広告を取りたいクライアントがいた。提案まではできるんだけど、のらりくらりと逃げられ、結局、出稿してもらえないクライアント。電話すると居留守を使われる。だから、張り込んだ。互いのクライアントの店の前に。

私「そっちの状況はどぎゃんですか、どうぞ〜」

ミ「まだオーナーは帰ってきとらん模様、そちらはどぎゃんですか、どうぞ〜」

私「こちらもまだオーナーの姿は確認できず、どうぞ〜」

ミ「あっ、オーナー帰ってきた!!!」

携帯はそのままガチャンと切られ、ツーツーという音だけが鳴り響いていた。結局、ミカチンは広告をもぎ取り、私はダメだった。ミカチンは「広告を出す店は、前を通ると匂いがする」という人だった。ミカチンの人間性に誤解を受けるといけないので書き添えるが、彼女はクライアントから絶大な信頼を寄せられる営業レディだった。多分、使いかけの歯ブラシを売っても、相手に感謝されるはず。いや、売らないと思うんですけど、でも多分売れる。

 

一番、忘れられないのは、あの時のミカチンの顔。結納の記事を作るのに、スーパーで250円の小さな鯛を買った。会社の冷蔵庫に入れたまま、忙しさにかまけて撮影を後回しにしているうちに腐って異臭を放つようになった。しかも、かなり強烈なやつ。ただ、見た目には変化がない。早く撮影してしまおう、誌面にゃ匂いは写らない。あまりに異臭がひどかったので、会社に充満しないように、ベランダで撮影することになった。ふたりでの撮影は、カメラはミカチン、セッティングは私、が役割分担だった。私がベランダでセッティングしている間、強烈な匂いから逃れようと、ミカチンは部屋の中にいた。セッティングが終わったら入れ替わってミカチンが撮影。「臭!! 臭!!」とわめきながら撮影しているミカチンを見ながら、私はそっとベランダの鍵を閉めた。

 

般若のようなミカチンの顔は今でも忘れられない。

 

今日、どこかの会社に入社した新社会人の皆様に、良き同僚ができることを願って!